休みの雨

200時間以上はたらいた先月に比べ、ひととき、からだが空いたので代休をとった。

よく眠ったけれど、起きるとひどく頭痛がした。窓の外を見たら豪雨が降っていた。疲労と猛烈な気圧の変化が祟ったのかもしれない。

よくわからないアフラックの電話とかに出ながら、洗濯機を回した。風呂場のミズ、空から降ってくるミズ、放置したペットボトルの底に少量、溜まっているミズ、、、湿度は俺をいつもの倦怠へと沈みこませた。

こういう日は何もできない、いや、何もしないに限る。

積ん読にしていた本を、ほんの数ページ、だらだらと読んで閉じたり、YouTubeを眺めたり。何ひとつ集中できないまま、そういう日があっても良いと開き直る。

イヤホンを会社に忘れてきたから、ヒップホップすることもできない。

 

そうそう、ディスクユニオンに持って行ったら、混みすぎてて当日査定ができなかったCDの買取をもらってきた。20枚売ってだいだい9,000円くらいになった。悪くない額に見えるが、逆に中学時代から数えて今までどれくらいの金をこのプラスチックの円盤に費やしてきたのかと思うと、笑えてくるので思わない。

これからの人生、なるべくアーカイブは作らないようにしようと思う。本でも、CDでも、あるいは服もそうかもしれない。

必要ないものが部屋の空間を占めているのは、無駄とか言う前に新しいものを妨げるのだ。一人暮らしで広くない部屋に住んでいると、そう思えてくる。

文章で何を書くかということが、何を書かないのかを意味するのと同じように、部屋の中に何かを置く時、そこに置かれるかもしれなかった何かが潰えていく(実際そんなこといちいち考えちゃいられないが)。領土のほうが俺の頭に線を引いてくる。

買い物は楽しいけど、続けていくには同じスパンで何か手放していかなくちゃならないみたいだ。

冬までに加湿器を買いたいから、すかすかの寒い部屋にしておかなくちゃいけないんだ。

夜になっても躍りまくれ

https://youtu.be/akDL_fAzlTo

 

ひとには体力とは別のハツラツさを保つ源があるはずだ。

MPと呼ばれることもあるけど、私はシャーマンキングを読んでからそれを巫力と呼ぶことにした。

雑誌をビショビショに濡らしながら入浴している時や、うとうとと眠気をごまかしながら電話している夜や、掃除したばかりの部屋で焚くお香の香りや、無駄に早く目覚めた朝に吸う起き抜けの煙草などがそれにあたる。

 

涼しさが街に降りてくるころ、名残惜しくもある夏の浮かれ気分をよそに、気分は別ベクトルに上向いてくる。

ジャズで言うところの“ブルー”や一種のcoolness。

冷たいエレクトロニックなピアノの音色が似合う季節がやってくる。

アンニュイさのなかで温めあうことの喜びや、虫や植物が隠れていく仮定で際立つ、自分という1本の樹の太さ具合が、同じ暮らしを繰り返しているだけのはずなのにハッキリと意識を明るくさせる。

季節の変わり目はたしかに未来を連想させる。

新しいことをしたくなってくる。

 

頭皮から髪へと浸透する天然のトリートメントは、睡眠中に分泌されるらしい。

生まれたときから寝付きが悪かった。

暗闇のなかで何も考えない。ということができない。

別に大層なことを考えるわけじゃない。

快楽ともネガティブともほど遠い他愛もない妄想が、いろんな影になって動き始める。

さいころ妖怪の行軍を思い描きながら眠りについたら妖怪の夢を見たことがあった。

その日によって、夢に手招きする影が交代するわけだ。

ほんとうは瞼の裏でなく、隣に案内人がいてほしいのかもしれない。

 

さいきんはしょーもないYouTuberをスマホで流しながら、けだるい眠りに落ちている。

だらだらと退屈で、徹底的に無関心なおしゃべりほど眠りに誘うものはない。

それを知ったのは幼少のころ見たNHKの教育番組だったのだ。

今にもぬるまっていくHot Riverside にて

 

特急踊り子号。

川端康成スタイロの名前を冠した電車で、待望の「熱川バナナワニ園」へ行った。

今の自分には、チラ見えする踊り子の官能よりも、山のふもとにひっそりと息づくワニとバナナの共演のほうが文学的に思えてしまう。

突発的な弾丸旅行だった。夜に用事を控えた友人とともに、東京を朝早く出発した。

 

観光地の熱海を抜け、さらに1時間ほど海沿いを走った先に熱川がある。

駅を挟んで、山と海がある自然的な土地だ。山側に1分も歩けばバナナワニ園に着き、海側に行くと海水浴場と温泉街が広がる。

まずはバナナワニ園へ。

詳細を書くとキリがないが、DOPEとしか言いようのない時空間だった。

東京にあるような、いかにも戦略的にDOPEを狙った紛い物とは違う。年月の蓄積を経て時代に取り残されたもの、そしてわずかずつアサッテの方向にアップデートされていったもの、そこにひとしずくのマトモなPOPさが混在した、真にDOPEな空間だった。

ワニは本当に良かった。直射日光を受けて天日干しになり、だらしなく四肢を投げ出して眠っているやつばっかりだったけど。

たまに仲間の頭を踏みつけて寝返りをうったり、踏まれたやつも意に介さなかったり、酸素を補給するために鼻先だけ水面から出してプクプクと気泡を出してまた沈んでいったり、スローモーションみたいな速度でじわじわとアクビをしていく様子を見ながら「こういう生き物になりたい」とぼんやり思った。

 

自分の動物観がうまく説明できない。

ペットショップが苦手なのはなぜだろう。動物園くらいの広さで(それでもワニは窮屈そうだったけど)、エサや環境を保証しているのなら、楽しむことができる。(それとも、言い方は悪いけど"見世物"と割り切っているから?)

ペットショップは、あの小さなゲージの中で、明らかに居心地の悪そうな顔をしている彼らを見るのが耐えられない。しかもそれを見る人間たちが、ほんとうに無邪気に「かわいいね」とか言っていたりして、それでいいのか、と漠然と思ってしまう。人の楽しみに水を差すようなことは言いたくないけれど。。

もう他界したけれど、14,5年、猫を飼っていた。母親より長く生活をともにしたことになる。

私は飼いたくて飼った、正確には保健所に引き取られそうになっていたところを拾った形になるわけだが、「猫のほうから飼ってくれと頼んだわけじゃなくて、自分の欲望で飼ってるんだから、ちゃんと世話をしなくちゃいけない」、、、、というようなことを子供心に思っていた。

父親は「何言ってんだ、保健所で殺されそうになったところを助けてやったんだから、うちは命の恩人じゃないか」と言っていたけれど、やっぱりそれも人間の理屈だと思う。保健所を作ったのも人間だし。

人間の理屈で動物を理解するのは動物に失礼だと思う、だからNHKの"ダーウィンが来た!"みたいに、動物のしぐさに人間がアテレコするのも子供のころから疑問に思っていた。

(こんなことばっか書いてるとまためんどくさいやつだと思われる。。。)

だから私は、ちゃんと世話をしようと思った。

学生時代、長い時間をかけて実家から大学に通っていたのも、猫の世話をする責任を感じていたからかもしれない。いや、大部分は金銭的な都合だったけど。家を出た後で、父親が1人で猫の世話をまっとうできるとは、どうしても思えなかった。

結局、働き始めて家を出てから、4ヶ月ほどで他界するんだけど。。。自分が果たして良い飼い主だったのかと、ふと思うことがあった。。

 

熱海の話はどこいったんだ?

だめだめ、楽しい話をしなくちゃ。

で、バナナワニ園は最高だった。

ワニ以外でいうと、植物園になぜか現れる石膏型の天使像の集団とか、さまざまな睡蓮の葉が浮かんでいる池にエリック・サティみたいなアンビエントが流れているところとか、なんともいえない味があった。

 

さて、バナナワニ園を堪能して駅の反対側に行くと、誰でも入れる足湯があった。

少し足を休めてから、海でとれたての鮮度抜群の海鮮丼を食べ、腹ごしらえもした。

幸先の良いスタートだ。

東京に戻るまでにはまだ数時間ある。明朝から活動することで、休日はこんなにも長くなるんだ。

せっかく熱川に来たんだから、温泉に入りたい。温泉宿はたくさんあるが、日帰りで入れるところはあるんだろうか。

駅近くの観光案内所に尋ねると、日帰りで入れる温泉の一覧表をもらえた。だいたい夕方くらいから開くところが多く、その中で今すぐ入れそうな温泉をピックアップして、一番近い場所にあるところに行ってみることにした。道中の先には海があるから、観光するのにもちょうどいい。

 

行ってみると目当ての温泉が閉鎖されていて爆笑した。

観光案内所に言われた場所が閉まってるんだから、もうどうしようもない。

とりあえず海を見に行く。

ギンギンに晴れた真夏の空の下、海はきらきら光っていて確かに綺麗だった。

風の強い日で、わりと重たく響き渡る波の音も、テンションを上げてくれた。

海水浴場のスピーカーから鳴る、ローファイすぎるdef techもDOPEポイントだ。

 

さて、海を眺め終わるとやることがなくなってしまった。

16:00くらいには駅を経たなければいけないので、もうそれほど時間もない。

それに外は暑く、急勾配の坂が多いこの街では、散策を続けるのも辛くなってきた。

もういいから適当な喫茶店でも見つけて涼もうと、googleで検索してヒットした喫茶店に向かった。道中、大きな看板も出ていて、迷うことはなかった。

 

着いてみると目当ての喫茶店が廃墟と化していて爆笑した。

 

笑いを通り越して若干引き気味になってきた。

よくよく見ると乱立するホテルやペンションもあまりに閑散としていて、潮風を浴びまくったせいで錆びついた箇所がいくつも見られる。

バブル期か、いつの頃か知らないけれど、かつてあったであろう夏休みの喧騒がまったく感じられず、現地の人の歩く姿もなく、ただただ過去の歴史を風化させながら、来るでもない終わりの時を待つプチ廃墟のオンパレードとなっていることに気づく。

賑わいも底をついた観光地の雰囲気は、DOPEという言葉も飛び越え、ひたすら郷愁を感じさせる。

 

これはこれでなかなかない体験だし、ある意味とても楽しかった。

けれどもう何年かは決して来ることもないだろうと思った。

温泉、海は、基本的に熱海で十分だ。

 

つまり熱川とはバナナワニ園のことを指す地名であったし、バナナワニ園とは熱川の名をかろうじて守り続ける唯一のバトルフィールドだったんだ。。。

 

↓ちなみにバナナワニ園のサイト。

意外とリッチなサイトで、熱川の"本気度"が伝わってくる。

7月末にマスコットキャラクターの名前が決定していたり、声優とコラボイベントをしていたりと、まだまだ未来に向けた活動が止む気配はない。

がんばれ!バナナワニ園

bananawani.jp