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Wardrobe

季節と日記

バイノーラル録音で幻覚する秋の夜長

「寝たまんまヨガ」というアプリをスマホに入れた。鎮静サウンドを背景に女性がヨガニドラの手順を説明する。ーー右手がリラックスしていることを自覚します……右腕全体……右の背中……。筋肉が弛緩している感覚を、からだの一部分ずつ自覚していくことで、それぞれの神経に対応する脳がリラックスし、休まって、疲れがとれやすくなるらしい。そう言われるとなんとなく寝覚めが良くなった気がする。
 これまではイヤホンを挿してYouTubeバイノーラル録音を聴きながら眠っていた。おもに「耳かき動画」を。ダミーヘッドマイクを使ったバイノーラル録音では、頭部の感覚や刺激が立体的に録音される。マイクの耳を耳かきすることで、イヤホンを通じて本当に耳かきされてるみたいに、カリカリした硬い感触が伝わってくる。できればカナル式の、イヤホンで聴かなければ意味がない。
 YouTubeには有象無象のアマチュアがアップした耳かき動画が転がっている。なかには商品として配信されている本格的な音源のサンプル品もある。そのうちのひとつ「道草屋」シリーズ。
 
 
《現実的には耳かきをされながら眠れるわけがないという気持ち》
 v.s
《現実的には耳かきをされながら眠れるわけがないのだからこそ眠れるのだという気持ち》
 
 道草屋に限らず、基本的にこの界隈は萌え萌えなアニメ声の声優がささやきながら耳かきをするのだが道草屋の探究心は耳かきにとどまらず。ダミーヘッドの伝道性を活用して、歯磨きや、食事の咀嚼を幻覚させる。髪を切ってシャンプーする。足湯につかる。また男性向けの「耳舐め」やイケナイところのマッサージも行われる。
 それらが眠りのための鎮静化と程遠いところにあるのは別にして。ゲーム市場でヴァーチャル・リアリティが熱狂の度を高め始めるずっと前から、幻覚を伝える道具としてのバイノーラル録音にずっと期待していた。
 音の知覚が根本的に振動であるのだから「体感」を伝達する手段として骨伝導はもっともすぐれたものであるはずだ。いずれヘッドフォンは全身に振動を伝える器具に拡張されていけばいい。そこでは「聴く」という経験そのものが上書きされるだろう。ある空間に生じた出来事を圧縮した録音データが、私たちの肉体を媒介にして他人の(別世界の)しぐさを蘇らせる。
 道草屋の過去の作品をいくつか「聴いて」みると、季節感が重視されているのがわかる。
 花火の響き。虫の声。鯉の跳ねる水。雪を踏みしめる足。
 季節は私たちの肉体に刻みこまれた大切なインターフェースだ。
 季節は蝶番だ。
 違う国の季節を感じるためには。
 
 けれど耳かき動画を聴きながら眠った翌日、とりたてて気持ち良く寝覚めた覚えがない。
 眠ることと寝かしつけられることのせめぎあい。
 
 ヨガでいう、からだの自覚を通して脳や神経が活動するなら、バイノーラル録音の幻覚は脳にコミットするのか。
 自覚は耳にとどまるのか。